先日、尾道にいる両親から、ケアパッケージを送ってもらうついでに、お願いして、高校の卒業アルバムも入れてもらいました。2ヶ月ほど前、Facebookを始めたことで、当時の同級生と何人も話せるようになりました。卒業して25年あまりが過ぎ、お互い40代の半ばになって、お互いにそれぞれの人生を生きている同士、こうしてどこにいても話ができるときがくる、とは私にとっては思いもよらぬことでした。
私の通った高校は、この地区では伝統ある進学校。私は、東京から受験し、当時今までにない高得点(確か1科目98点か何かだったのをのぞいて全科目満点、怖い・・・)で合格し、高校入学と同時に東京大田区から広島県尾道市に引っ越してきた転入生でした。方言もうまく話せず(私なりに努力しましたが)、かわいげもなく早口で、英語が大好き、「勉強が好き」と言い放つ、何かにつけて一風変わった女子高生だったと思います。正直にいいますと、”田舎”な尾道にいなくてはならないのは非常に不本意で、大学はとにかく関東に戻りたい一心で部活もやめ、ひたすら勉強した3年間でした。学校行事も積極的に参加したことはあまりなく、青春を謳歌しているほかの皆と違う、そのことがとてもいやでしたし、当時のことは思い出したくなかったくらいです。
ところが、長い時間が経って、皆と話してみてわかったことは、私を勉強以外のことで覚えていてくれた人がいたこと、当時のもやもややコンプレックスは、私だけはなく、誰しもがそれぞれに抱えていた不安であったこと、地元でずっと暮らしている人たちも多い反面、私と同じように高校や尾道からできるだけ離れて生きてきた人たちがたくさんいるということでした。今の自分たちで、心の通じる数人と、「今会えてよかった、これからの人生よろしく」という言い合えるようになったのにはテクノロジーのおかげ、ではありますけれど、「いまさら、高校の同級生となんて」などとひねって考えず素直に喜び、大切にしていきたいと思います。
「がり勉」だった私、でもそのときがあるから今があり、尾道で3年間、「毛色の違った」存在である時間で培った強さや一途さが、その後の人生を切り拓いてきた折々でとても助けになったと、今やっとわかるように、そして受け容れられるようになっています。今まさに働き盛り、それぞれの分野で活躍されている「同級生」たちと何が始まり、何を起こせるのか、すこし楽しみです。