2017年11月10日金曜日

看取るということ。

今週、11月8日の午後7時半ジャックのお母さんが同じ日の午後、我が家から運ばれたホスピスで亡くなりました。享年76歳。77歳の誕生日まであと2週間でした。1年あまり前に夫のお父さんを亡くして以来、長くわずらっていた慢性閉塞性肺疾患(COPD)が急速に進行して彼女の命を奪いました。最期はとても安らかな顔で横たわっていて、家族一同、「もうつらくないね」とホッとしています。

8月の半ば、病気の症状のひとつの食欲減退による栄養失調と呼吸困難のために1週間入院して以来、チワワ2匹と一緒に我が家に引き取って、自宅介護を皆でがんばってきました。夫婦とも働きで、まだまだ小さなジョニーがいる私たちにとっては正直にいって本当に大きな責任でしたが、終わってみてやれることはやった、と悲しいながらもすっきりした気持ちでいます。、が・・・・ふとした瞬間に最後の日々の思い出や、交わした会話を思い出して涙がでます。

この1年、いろいろなことがあって、特にわが家で彼女の介護をするようになってからは私自身、お母さんのことをいろいろ分かったし、人生観、世界観が大きく変わりました。自分のいやな面もたくさんみてうんざりしました。とくに大変だったジャック、すべてを背負って献身的に介護をする姿には本当に頭がさがりました。

私のおもな担当は食事。一緒に暮らすようになって、私の用意する簡単な食事をとても喜んで食べてくれ、「Akikoの作ってくれるご飯は私を元気にしてくれるから、がんばって食べるわ」と、食べたことのないものもびっくりするくらい楽しんで、美味しそうに食べてくれました。私もいろいろと研究しては工夫して毎食用意してきました。この日の朝、会社に行く私をつらいのに、にっこり笑って見送ってくれたのが最後になりました

私はひそかに、こんなことでは負けない、健康、運動と仕事は絶対に犠牲にしない、と心にきめてやってきました。ただ、今後長く介護が続くようだと、もっとプロの力を借りるなど、手を打つ必要があるな、とはジャックと考えていたところでした。

オフィスに出勤するのもままならなかったこの3ヶ月間、仕事量も、期待値も、一切変わっていません。ただ、上司が状況と「仕事の責任を変わらずに全うしたい」という私の意向をよく理解してくれて、必要なだけ自宅勤務を、などいろいろとサポートをしてくれました。お陰で、なんとか踏ん張って来れました。

ここで書いておきたいのは、業務による違いはあるものの、自宅介護をフルタイムで仕事をしながらでも可能にするだけの柔軟性がアメリカの会社員には与えられることがしばしばある、ということです。日本でアメリカ外資ではたらいていたときもそうでした。働き方改革、という言葉をよく目にしますが、日本の会社では今でもこういうありかたはなかなかないのでは、と思います。

とてもいい経験をさせてもらいました。

2 件のコメント:

ヒラリー さんのコメント...

JACKのごお義父さんが亡くなったことは知っていましたが、明子さんの静かな文面でお義母さんも続けて亡くなられた様子知りました
これまでの人生ベジタリアンだったお義母さんが明子さんの作った料理を食べられたなんて
最後まで心からあなた方を頼り、信じることがさせた行動ですね
天国に召される前に、本当に清らかにすべてを受け入れられたんでしょう、胸が熱くなりました

頂いてます手作りのお人形大事にしますね

Akiko T. Gray さんのコメント...

一番大変だったお母さんが、最後まで愚痴ひとつ言わずにユーモアのセンスを失うことなく、私には笑顔でした。なかなかできることではないと思います。