2009年8月11日火曜日

広島:祖母の育った家(花本)

母方の祖母は現在92歳。介護のもとにあります。彼女の育った家は、今の家からさらに山へ車で20分ほどはいったところ。私たち母の子供3人とも、なぜかいまままで訪れる機会はなく、今回初めて。しっくいの壁もまだしっかりと、おおきな作りの家です。今は誰も住む人はなく、隣の家に住む親戚の人が手入れをしてくれています。祖母は兄弟も多く、両親が亡くなった後は、一番上の兄(大叔父)が大黒柱になって一家を支えたそうで、彼は当時早稲田大学を卒業して、くにに戻り、このあたりの村長さんになった人望のあついひとだったそうです。大学では柔道部。祖母が「つとむにいさん」と時々彼の話をしていたのは覚えていますが、それ以上のことはいままで知りませんでした。



小高い山、冬は雪が凍るので、車は大変だそうです。周りは田んぼ。64年前、原爆が落ちた日ここに半ば疎開していた祖母と幼かった母(2歳)がいた場所です。8月6日の朝、祖母は暑くなる前に、と朝から草刈りをしていて、遠くにあがるきのこ雲を今もおぼえているようです。

無理を言って(ジャックがぜひ、と)、家の中もみせてもらいました。台所は、いわゆる TVでみた「おしん」の時代の雰囲気に近い感じです。洋間風な広い部屋もあり、シェークスピア全集なども本棚においたまま、時が止まっています。

祖母はこの家で育ち、貧しいながらも当時の女性としては少数派の女学校まで行きました。教育には熱心な家庭だったようです。洋裁和裁も得意ですが、数字に強く(家の図面も自分でひいたことあり、気も強く(たとえ国が相手だろうと容赦なし、けんか早いところあり)、決断力にあふれ、まさに誰が何をいおうと自分のただしいと思ったことを実行し、主義をつらぬく、今の時代だったらビジネスウーマンとして活躍していたであろうというかなり強烈なキャラクターの持ち主の私の祖母です。今はもちろん、ゆるゆるですよ。



左の写真は台所。下の写真のスペースは、大工仕事などをするところ。当時この上にあるはなれでは蚕を買っていたそうです。大きなお座敷。

大改築したら住んでもいいいくらい気に入った、と言うのは簡単なジャックのコメント。でも本当に良いところでした。もっと早く来ていればよかった〜、また来ます。今回の広島滞在をしめくくるにはぴったりの、家族も大切な場所。のぼりのおばさん、ゆうとくん、暑い中、突然お邪魔したのに、気持ちよく案内していただいてありがとうございました。

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